サーフィン歴7年(年に数回のへっぽこ)、英語はからっきし(中学一年レベル)の
人見知りオヤジが挑んだハワイ一人旅! 連載形式でお届けします
30代後半、僕は人生で初めてスノーボードをした。
「サーフィンやってるんだったら多分すぐ滑れるようになるよ」と言われていたものの、結果は散々だった。定番の表現だけど僕はまさに産まれたての何とかといったひどい有様で、ふらふらと数メートル進んでは、ただ情けなくバフッと転倒した。あまりにもひどい結果だった。
思えばさらに遡ること約一年。僕は人生で初めてウエイクボードをした。そのときも「サーフィンやってるんだったら多分すぐ滑れるようになるよ」と言われたものだけど、やはり似たような結末を迎えている。
僕は湘南・鵠沼をホームポイントとするサーファーである。一応。
中学を卒業してから患ったアトピーのせいで、肌を露出するのがイヤで夏が大嫌いになったけれど、20歳を過ぎてから少しずつよくなってきたのをきっかけに、また子供のころのように夏が大好きな人間になった。
でも大人の夏は短い。そこで僕が、もっと夏を満喫したい、少しでも長く夏気分を味わっていたいという思いからはじめたのが、サーフィンだ。これにどっぷり嵌り、年中問わずやるようになり、かれこれもう七年にもなる。そんな一応サーファーである僕の、スノボーとウエイクのデビュー戦の結果が、これだ。
うまくなりたい。そう思った。もちろんスノボーを、でもなく、ウエイクを、でもなく、サーフィンを、だ。
だけど僕はサラリーマンだ。おいそれと海へと通うことはできない。じゃあどうすれば? そこで僕が思い立ったのは、陸上トレーニングだった。僕は俗にサーフスケートと呼ばれる、前輪がうねうねと動く、サーフィンの軌道を模した動きができるスケボーを買い、海に行けない日は陸トレに励むことにした。
同じ時期。僕は慢性的なひどい首こりからくる眩暈に悩まされていた。要因はいろいろあろうが、運動不足が大いに関係していることも否めない。そこで僕は週に二回、ジムでのトレーニングも始めることにした。
そんな、どこかゴールの見えない漠然としたトレーニングを送っていたある日、僕は確固たる目標を立てた。
──そうだ、ハワイに行こう。
僕はここ日本から東南東へおよそ6400km向こうのこの世の楽園に思いを馳せた。目的地はオアフ島。ハワイの波に──乗ってやる。
それから約三ヶ月間、僕はトレーニングにいそしんだ。トレーニングと勉強を続けるうち、人間の身体というのはとてもシンプルなのだということがわかってきた。
消費カロリーより摂取カロリーが上回れば太るし、下回れば痩せるということ。身体を大きくしようとドカ食いしても、消化が追い付かずに無駄な脂肪が増えたり排泄物として終わってしまうということ。だから一日三食ドカ食いするのではなく、適量を五食六食と分けて食べると大きくなりやすいということ。
身体を大きくしたいとき、筋肉だけを増やしたいと思いがちだけど、残念ながら脂肪もセットで増えてしまうこと。一方減量時も、脂肪だけを落としたいと願いがちだけど、残念ながら筋肉もセットで落ちてしまうこと。
アスリートはこういった残念な人体の仕組みを受け入れたうえで、できるだけ筋肉をメインに増やす、できるだけ脂肪をメインに落とす、ということに苦心しながら身体をつくっているらしい。
僕もそれを受け入れ、それに倣うことにした。175cmの身長に対する65kgの体重は、数値こそ適正な範囲ではあるものの、身体つき自体は運動不足からくるぶよぶよの状態だ。これを一度、脂肪込みで構わないから、鍛えまくって食べまくって70kg近くまで増量させる。そして、ぶよぶよの脂肪の下に、今まで以上の筋肉の鎧を身につけたところで、ふたたび元の体重へと減量させる。
ジムでやっているベンチプレスやレッグプレス、チンニングなどの記録は体重がMAXのときよりも落ち込むだろう。だけどそれでもかまわない。僕はボディビルダーでもパワーリフターでもない。ぶよぶよの65kgを、引き締まった65kgに作り変えたいだけなんだ。そしてその身体でもって、ハワイの波に挑みたいんだ。
僕はハワイ旅行を決めた三月下旬から、出発日とした七月までの約三ヶ月半を、ずっとそんなことばかりを考えて過ごした。そして毎夜毎夜、YouTubeでハワイの波の動画を見ては、ワイキキに想いを馳せ、期待に胸を膨らませて眠りに落ちた。
出発を一週間後に控えたとき、ふと思い立ったことがあった。そうだ、僕は自称サーファーであり、自称物書きでもある。サーフィンのことばかり頭にあったけど、物書きとして、この旅のことを書き記さないなんてありえないじゃないか。
「ハワイ超よかったよー! ごはんも超おいしいし、海は超きれいだし、売ってるものとか町並みとか超かわいかったし、とにかくもう超おもしろかったー!」
なーんてつまらない感想を、これまで日本中の何万人もの女の子が口にしてきただろうし、実際のところ口下手な僕も、誰かに感想を言うとすると大して変わらない表現に終始すると思う。
だけど物書きとしてそんなので終わらせるわけにはいかない。こんな貴重な旅のことを書かずに何を書く? 初めてなんだから尚更のことだ。
そう大切なことに気づいた僕は、小説のネタ帳にしているロンハーマンのメモ帳をクローゼットから引っ張り出し、スーツケースに放り込んだ。
ベンチプレス。37kgを10回挙げて意識が遠のいてたレベルから、52kgを7回挙げられるようになった。レッグプレス。72kgを10回で一週間ほど老人のようなよちよち歩きになっていたところ、112kgを12回こなせるようになった。1回もできなかった懸垂は、5回できるようになった。
トレーニングスタート時と同じ体重で脂肪と筋肉を入れ替えてみせた僕は、親不知を一本抜き、万全の旅支度をととのえた。
出発の日。僕は、改めて荷造りをした。ドルに換金した紙幣を数え、着替えや水着、常備薬、パスポートを含む貴重品などの持ち物を点検し、準備に問題がないことを確認するとスーツケースを閉じた。
最寄駅のエスカレーターを上ってホームに立った僕は、バッグからi-podを取り出し、サーフィンを始めたのをきっかけにここ七年間ほど毎日のように聴いてきたハワイアンレゲエを再生した。ハワイに行ったこともなく、ハワイに行ってみようと具体的に考えたこともなく、ただ漠然とその世界観に想いを馳せながら聴いてきたハワイアンレゲエ。それがこの上なくベストマッチするロケーションへとこれから向かうんだ。僕は高揚した気分で一路、成田へと向かった。
成田空港。21時25分、大韓航空001便ホノルル行き。僕を乗せた飛行機は、ほぼ定刻どおりに成田を発った。
およそ七時間半のフライトを経てホノルルへ到着した僕がまず思ったことは、ああキツかった! のひと言だ。
機内の窓から見える景色。幸いなことに無事天候に恵まれているようだし、ヤシの木がチラホラと見えて、ああハワイに来たんだな、とは思ったけれど、エコノミー席でけっきょく一睡もできないまま過ごしてきた環境から解放された気持ちの方が大きくて、僕はぐったりとうな垂れた状態で飛行機から降り立った。
入国手続きにかかる。僕は七年前グアムに行ったとき、ここで痛い目に遭った。指紋認証のやり方がわからなかったのだ。
指の長さと形状的に五本まとめて指紋リーダーに乗せられないので、まず四本指を採取し、最後に親指一本だけを採取するのだけど、そのやり方を知らなかったし、英会話がままならないのでその場での説明も理解できなかった。
四本指を採取して終わったと思い込んだ僕は、もう通っていいのか? と黒人女性に顔を向けると、女性は親指をグッと立ててみせた。ああOKなんだな、と解釈してその場を去ろうとすると「NO」と声がかかる。首をかしげて見ると、女性はもう一度僕に親指をグッと立てて見せた。
良い旅を、と送り出されてるのだと嬉しくなり、同じように応じればいいんだと判断した僕はニヤリと微笑んで同じように親指をグッと立てて見せた。何やら小声で罵ってくる黒人女性。戸惑って先を見ると、すでに審査を終えた彼女が呆れた顔でこちらを見ていた。
──今回は同じ失敗をするわけにはいかない。僕はバッチリ、右手の四本指、親指、左手の四本指、親指、と指紋採取を済ませた。
さあ残るは最後の関門、税関だ。定番の質疑応答はここでなされたけど、準備してきたのでバッチリだ。
「○×÷※!@#%……モクテキ?」
「Sightseeing」
「○×÷※!@#%……イツマデ?」
「five days」
頷いている。バッチリだ。だけど予期せぬ更なる質問が続けられた。
「○×÷※!@#%……シゴト、ナニ?」
えっ。
「○×÷※!@#%……シゴト、ナニ?」
片言の日本語だ。どもると怪しまれると思った僕の口から出た言葉は、
「……カイシャ、イーン」
しかし満足げに頷く女性。嘘! 今のでいいの? 更に質問は続く。
「○×÷※!@#%……ドンナ、シゴト?」
これも一瞬戸惑ったけど、何とか答えられた。
「Service」
「Oh, Service. OK」
よかった、業種の方をまともに言うことができて。これでさっきのカイシャイーンの謎も解けたことだろう。
こうして何とか質疑応答を終えたものの、受け取ったスーツケースをガタゴト運んで外へ出ようと思った矢先、またしても新たな刺客が現れた。
「ヌーキウーチー」
よりによってスーツケースの中身の抜き打ち検査の対象にされた。カイシャイーンがやはり怪しかったのだろうか。
ベルトを外してスーツケースを開き、中身をチェックする浅黒のおばさん。ほとんどが衣類だったけど、医薬品やケア用品関係をまとめて入れた透明のポーチに目を留めると、チャックを開けて中を確認し始めた。ちょっと記憶が飛んでしまったのだけど、これは? これは? に対し、いくつか何とか答えられたのに、最後にまたやらかしてしまった。喘息の発作時に飲む錠剤をつまみあげた浅黒に、じゃあこれは? と聞かれ、英単語を知らなかった僕はまたしても、
「ゼーンソオクゥ」
などと言ってしまった。でも浅黒は満足げに頷いていた。さっきからなんなんだろうこいつらは。返事すりゃ何でもいいのかな。
無事入国を果たした僕に、現地の旅行会社の担当者がこのあとの動きについて簡単な説明を始めた。
ここからバスでワイキキへ向かうこと。スーツケースは別のバスで向かうため到着にタイムラグが生じること。チェックインは15時であること、などなど。併せて、ハワイの日射しはとても強いので、とくに日焼けには気をつけてください、という注意を受けた。なんでも日射し──紫外線は日本の四倍の強さらしい。日本と違って湿気がないので汗もそんなにかかず、なんだ思ってたより大したことないな、と勘違いしてしまい、あとで大変な目に遭う日本人がとても多いのだという。
「ですので陽にあたるのは二時間までに留めるようにしてくださいね」と言ったところでふと僕を凝視する担当者。「でもあなたはすでにローカル化してるので、それくらい焼けてるのなら大丈夫ですが」
誰がローカルだ。
ようこそ、と首に貝殻のネックレスをかけられ、送迎用マイクロバスに乗り込まされた。これからここホノルル空港を出発し、滞在するホテル、ホリデイ・イン・ワイキキビーチコマーへと向かう。
(つづく)
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