サーフィン歴7年(年に数回のへっぽこ)、英語はからっきし(中学一年レベル)の
人見知りオヤジが挑んだハワイ一人旅! 連載形式でお届けします
やってきた方と反対車線のバス停で、僕はハレイワに戻る55番を待った。ここで間違いないとわかりきっていることだし、同じ内容の言葉だとはいえ、会話、会話だと思った僕は、一人バスを待っている少年に、ここのバス停を指差して「Go to the Haleiwa?」と訊ねた。少年はそうだ、と頷いた。お礼にと思い、手に持っていたハイチュウの袋を見せ「Candy?」と言うと、少年はふっと笑い、「○×÷※ One !」と言って一粒つまんで口に放り込んだ。
それで仲良くなれた。わけでもなく、少年はすぐにしびれを切らして北の方へと立ち去っていってしまった。待っているバスの進行方向と逆に行ったのはなんでだろう? その後ろ姿が見えなくなるまで見送っていると、入れ替わったように黄色と白に彩られたThe busがやってきた。ハイチュウのお礼に、彼がバスに変化してくれたのだろうか。なーんてメルヘンチックなことはいま思いついたことであり、そのときはそんな風には感じていない。
ハレイワタウンに戻ると16時半だった。ここからアラモアナまでさらに2時間ということを考えると、このままここらで引き返すのが妥当だろう。それにしても、パスした拠点があったとはいえ、行きあたりばったりの割にはいい塩梅であちこち見て回ることができてよかった。
が、ショルダーバッグに詰め込んだ荷物、お土産を再確認したところ、やっぱりもうちょっと何か買いたいなという気持ちになったので、少し歩いてさっきは入らなかった雑貨屋さんに顔を出してみた。入って気づいたのだけど女性用のものばかり扱っている店だったので、怪しい者だと思われないよう店内を物色した。
にもかかわらず女店員とやたらと目が合う。怪しい者じゃありませんアピールのため、かわいらしいキャンドルとソープを見つけて手に取ると、わかりきっているけれど「Candle?」と話しかけてみた。すると女店員に「あ、日本人です私。日本語でいいですよ」と返されてしまってめちゃくちゃ恥ずかしかった。
片言の英語のなにが恥ずかしいって、外人に聞かれることではなくおなじ日本人に聞かれるのがいちばん恥ずかしい。あいつ、それっぽく発音しようと舌巻いてやがるって思われるのが恥ずかしくてたまらない。ああ、日焼けして黒くてよかった。色白だったら顔真っ赤になってたかもしれない。
その店でキャンドルとソープを買って、他になにかめぼしいものはないかなーと町を南下していると、さっきガーリックシュリンプを食べた店の前までやってきた。拳をぶつけあったあの黒人がいる。さっき写真をとりそびれてしまったので、話しかけて一緒にとってもらおうか?
少し離れた場所でしばらく考えたけど、やめておくことにした。すっごい偏見だけど、よく青春もののハリウッド映画なんかで、すっかり仲良くなったと思い込んだ相手に後日気軽に話しかけると、一体なにがあったんだというくらいにフゥーン! と鼻の穴を広げて怒りだし、殴りかかってきたりするじゃないか。そしてものすごい罵詈雑言を浴びせかけてくるのだ。何を言ってるのかわからないけど、大概そういうときの字幕は「家に帰って母ちゃんのおっぱいでもしゃぶってな! このコロラド野郎が」みたいな感じなのだ。
てことでやめておくことにした。さっきはどうも、なんて気軽に話しかけて、いきなりフゥーン! って鼻息を荒くされたらたまったもんじゃない。
このまま南下してバス停を探してもいいけど少し戻ったところの方が近いと気付いた僕は、一度通り過ぎたガーリックシュリンプの店の前をまた戻ってきて通り過ぎた。黒人の男はキッチンに目を落として何やら作業している。
勝手にキレキャラに決めつけてごめんな、と心のなかで苦笑する。
傍から他人の様子を見て、悲しそうだとか、機嫌が悪そうだとか感じることがあるけど、そんなのはこちらの一方的な思いであり、正解とは限らない。むしろそれは、自分の心が映し出している鏡像なんだろうなと、ひそかに思っている。
しばらくしてやってきた52番のThe busに乗ると、どっと疲れが押し寄せてきた。ここから約2時間。眠ってしまってもいいかもしれない。窓に頭をもたせかけ、外に映る景色を見るともなしに見ていると、雨がぽつりぽつりと降ってきた。
運転手がフロントガラスのワイパーをかける。
キュ、キュ、キュ、キュ。
陽が傾き始めたノースの町に、スコールと呼ぶほどではない、サラサラとした雨が落ちる。
キュ、キュ、キュ、キュ。
バスの振動。無口な乗客たち。疲れきっているのはみんな同じなのかもしれない。
キュ、キュ、キュ、キュ。
バスの動きにただただ身を委ね、これからアラモアナへと戻る。車窓からちらっと見えた海を目を細めて見てとると、僕は満足して、目を閉じた。
アラモアナに到着すると、タイミングよくワイキキへ向かうトロリーに乗り継ぐことができた。こっちの方もスコールがあったようで、街が濡れていた。夕暮れどきの陽の光と行き交う車のヘッドライトが濡れた地面を照らし、滲んだ淡い輝きを浮かび上がらせていた。
ワイキキに戻ると時刻は19時前だった。まだ空はうっすらと明るい。良い時間だ。僕はモクサーフの近くのカジュアルレストランRock island cafeでホットドッグとジュースをテイクアウトすると、デューク像の横を通り抜け、ワイキキのビーチに腰を下ろし、海を眺めながらそれをほおばった。
海に向かって右手の方の空が、うっすらと赤みを帯びている。そうか、西はあっちか。だけどここからでは死角になっているのか、水平線に沈む太陽を拝むことはできなかった。それでも暖色のグラデーションの方に目を向けていると、よく見ると、海上をたゆたう一つの大きな雲からスコールが降り注いでいるのが見えた。
あそこだけはどしゃ降りなんだろうな。
ホットドッグにかぶりつき、もしゃもしゃと咀嚼しながらずっと海を眺め続けた。するとこんな時間だというのに、例のカヌーが動き始めた。大きなカヌーは、よっこらせ、といった具合に船体を一度左右に揺らし、海へと入っていった。
そもそもこのカヌー。何をやっている船なんだろう? まあ、船である以上、魚を捕るんだろうな。漠然とそんなことを考えながらカヌーを見送った。
いつもこうなんだろうか? きっといつも、こうなんだろうな。
黄色い大きな大きなカヌーが、黄昏どきのワイキキビーチの沖へと、今日もゆっくりと漕ぎだしてゆく。
昨日の旅に満足した僕は、今後の行程を変更することにした。変更、というか削除だけど。本日3日目は、モアナルアガーデンパークで「このー木なんの木」を見て、そのあとにパールハーバーに行こうと思っていた。そのパールハーバーを削る。
本当は、パールハーバーの方が見たいといえば見たかった。僕は、いい年をして恥ずかしいけれど、先の大戦に関する知識も乏しいし、正直なところ関心も薄い。けれど年に一度、夏になると、戦争のことをふと思う。
どっちが正しいとか間違ってるとか、そんな二元論的に語れるものではないのだろうし、それぞれの背負うものや理由、タイミングなど様々な要因が重なり合って起こってしまったものなのだろうということは想像に難くない。
それを学び、考えること。そして次へ繋げる、活かすことも大切なのだろうけれども、僕はそれよりも、戦争が起きた、その事実―過去に、年に一度思いを馳せる。
死んだじいちゃんは、海軍に所属し、爆撃機に乗っていたと言っていた。戦争は嫌なもんだけど、なくちゃならんモンなんかもしれんなあ、とボソリと呟いていたのを今でも思い出す。その意図するところはわからずじまいだけれど。
そんなじいちゃんが、じいちゃんたちが、山本五十六の決断をもって真珠湾に奇襲をしかけ、敵国に大打撃を与えた。その際に没した戦艦が、今でも真珠湾に沈んだままでいるのだという。僕はそれを是非見てみたかった。日本人として日本側の視点で以てという意味ではない。無知ゆえに、ハワイにいるのだからアメリカ側の視点で以てという狙いもない。ただ僕は、生々しい過去そのものを目の当たりにしてみたいと、そう思っていたのだ。
僕は、過去のすべてが今に繋がっていると思っている。
僕には、愛してやりたいと思っている自分自身がある。そしてそれよりも愛している大切な家族がある。そんな自分も、家族も、すべては過去のあれやこれやがあったからこそ、今この時代に生まれ、生きているわけだ。
そんな風に思うと、僕は時折「強い過去」に魅入られてしまうのだ。
会ったことがないのはもちろん、顔も名前も知らない自分のご先祖に、墓参りに行って手を合わせたくなる気持ちに近いといえば近い。
……だけど。いろいろ調べてみたところ、パールハーバーはちょっと煩わしそうだということがわかった。手荷物を預けなければならないだとか、予備知識をたたきこむために数十分の映画を見させられるだとか、ボートに乗って移動するだとか、そもそも行ったところで当日券がとれるかどうかわからない、だとか。
リサーチが適当で、もしかしたら誤った解釈をした可能性もあるけれど、海中に沈む戦艦ミズーリを見るためだけになんやかんやと障壁がありそうだったので、そういったツアーじみた行動は今回の旅になんだかそぐわないような気がした。
昨日何度と繰り返したバスの待ち時間。あの無駄な時間に旅の醍醐味を感じた僕は、今日も明日もその方向性で行こうと考え直したのだった。というわけで、パールハーバーはまた次の機会にしよう。
あと明日、最終日も同様に削った。明日はカイルアビーチを見たあと、ダイヤモンドヘッドに上り、滞在するワイキキを中心としたハワイの全貌を見て、感謝の意と別れを告げてこの旅を終えようと思っていた。それが締めくくりにふさわしいと思っていたのだ。だけど、僕にとってのダイヤモンドヘッドは登るものではなく、見るものだ。そう思い直した。沖合で波待ちをしているときに、左手をちらっと見たときにいつもそこにある風景。そう、ともに波待ちをしている仲間のような佇まいでいるそんなダイヤモンドヘッドが、僕にとってのダイヤモンドヘッドなんだ。
そう気づいた僕は、最終日の行程からダイヤモンドヘッドを削った。
(つづく)
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