サーフィン歴7年(年に数回のへっぽこ)、英語はからっきし(中学一年レベル)の
人見知りオヤジが挑んだハワイ一人旅! 連載形式でお届けします
フルーツポンチ村上のピンネタで、自分探しの旅に出てインドに来た男、というのがあり、あるあるネタとして「文庫本を読むのがステータス」というのをやっていた。まさにあるあるといった感じで大いに笑ったし、と同時に苦笑もした。外で本を読んでいると、こんな風に見られるんだろうな、と。
でも僕はこうして文章を書く人間なんだし、それに伴い、本当の本好きでもある(決して読書家とは言わないけれど)。だからここで本を読むのは正真正銘、自分に酔っているわけでも誰かへのポーズをとっているわけでもなく、本当に自分が心地よいと感じる過ごし方なのだ。
まあ、ここハワイへ来る前までの自分なら、移動中ならまだしも本なんてどこでも読めるんだから時間の無駄だとか、ハワイまで来てもったいないとか、単純につまらないとか、そんな風に思ったかもしれない。
でも僕はここへ来て変わってきた。変わったというか、僕の潜在的な、というよりもそういう見え隠れしていた性格が解き放たれている感じなのだ。
先にも語ったとおり、旅の楽しみ方は様々だ。そのなかにおいて僕はガチガチの計画派ではない。とはいえ最初は、それなりにあれこれ楽しめたらいいな、くらいには思っていた。ところがいざ本番を迎えると、やはり無計画だと、それなりの楽しみの実現すら困難であることを知った。
だけど僕はそんな困難をさらりと受け止めることができたし、その、効率の悪さから来る限定的な過ごし方を楽しむことができる人間なのだということを知った。
だから僕はここで本を読む。そもそも考えてもみなって。青々とした世界。日本では考えられないカラッとした陽気。そよぐ風に小鳥のさえずり。そんななか、芝生に寝転がったり木にもたれかかったりしながら、のんびりゆっくり本を読むという、そんな幸せ。そして一息吐こうとふと顔をあげると、そこにはモンキーポッドが佇んでいるわけだ。こんな贅沢な時間の使い方ある?
僕はバッグに忍ばせてきていたO・ヘンリー短編集を取り出すと、目次を開いた。どんな話がこの状況にマッチするかな? 「緑の扉」というタイトルを見つけたので、僕は本の頭からではなくそれを読むことにした。
内容を簡単に言うと、どんな些細な事だろうと冒険のニオイを感じ取ると、そこへ向かって突っ走っていってしまう男の話だった。
彼はある日、町のティッシュ配りからティッシュを受け取った。手に取ったものに目を落とすと、「緑の扉」というメッセージがしたためられていた。どういうことだ? 振り返ると行き交う人たちが同じようにティッシュを受け取っている。そのなかの一人がティッシュを道端に落としてしまった。彼がそれを拾い上げると、普通の歯科医の広告しか添付されていなかった。「緑の扉」は自分だけへのメッセージなのか? そう思った彼は、もう一度初めてのふりをしてティッシュを受け取った。するとまた「緑の扉」のメッセージがあった。間違いない、自分は選ばれた人間なのだ。あのティッシュ配りは自分のことを知っていて、メッセージを送ってくれているのだ。彼はあたりを見回し、近くの古いアパートの階段を上った。そこにあったのは緑の扉。ノックすると中から、飢えに苦しみ息も絶え絶えの美女が現れた。そして彼は、そんな美女を救った。だが彼は部屋を出るとき、あることに気がついた。よく見たらこのアパートに連なるいくつもの扉は、みんな緑色なのだ。え、自分はあの美女のほうへと誘われたわけではないのか? 彼はティッシュ配りを問い詰めた。するとティッシュ配りは言った。「新規開業した劇場が、低予算で宣伝したいからと、この大量のティッシュの中、数十個に一つずつでいいので宣伝のチラシを差しこませてほしいと言ってきたので、ただ、それを配っているだけですが」
……緑の扉とは劇場の入口のことだった。こんな結果ではあるが、この男、立派な冒険者と呼んでやって差支えはあるまい?
……こんな内容の短編だった。
読み終えた僕は、今の自分にぴったり、とまでは言わないが、なかなか今の気持ちや状況に沿う話じゃないかと思って満足した。ただの、子供心をもったままの男の勘違いの話。でもそのおかげで、彼は餓死寸前の困窮する美女と出会い、彼女を救うことができたのだ。
勘違いでもなんでもいい。冒険心をもって、どんどん扉を開けていけば、きっといいことがある。僕はそう解釈し、とてもいい気分になった。
寝そべっていた身体を起こすと、そこには、モンキーポッドが佇んでいた。
今日は夕方、16時半から、タカサーフのガイドさんとともにサーフツアーに出かける用がある。僕はここらで引き上げることにした。
モンキーポッドに別れを告げよう。一本、幹を痛めているのか、太い布をグルグル巻きにされている木がいたので、そいつに歩み寄って手をあててやった。
心の中で話しかける。「ずっと子供のころから見てたよ」
ひとり旅の陶酔。自分の言葉に思わず感極まった僕は目頭を熱くした。
子供のころからテレビや本などで見知っていた、どこかの国のアレ、というのは幾つかあるものだ。エジプトのピラミッドなんかだってそう。でもモンキーポッドは建造物ではない。植物──生き物なのだ。そう考えるとモンキーポッドは、見ることができたというより、出会うことができた、という方がしっくりくる。僕はこの木と出会えたことを、本当に幸せに思った。
「じゃあ、またな」
幹をひと撫でして、僕はモアナルアガーデンパークを後にした。最後にもう一度振り返ると、モンキーポッドがまるで僕に微笑みかけているように──なんて見えることはさすがにない。酒にほろ酔いと泥酔があるように、僕の自己陶酔に、泥酔の二文字はない。
来た道を戻って、途中にあった分岐点を別の方向へと進む。数分歩くと反対車線のバス停を見つけた。「3」の表記あり。そこには先客がいた。日本人の家族連れ。三十代後半と思しき夫婦に、幼稚園生くらいの男の子が一人。
日よけのベンチがあるから直射日光は避けられるものの、暑いことに変わりはない。夫婦はイライラした様子で、ここへ留まるべきかあっちへ移動してみようかなどとしきりに話し合っては、子供がいたずらすると、八つ当たりするように説教した。
僕はバス停から少し離れることにした。キャップをかぶり、サングラスをかけ、O・ヘンリー短編集を開く。
アラモアナへ戻ってくると、まだ時間に余裕があった。僕は家族へのお土産を買うことにした。何度かここアラモアナセンターを通るたびにちょくちょく目にとめていたハワイアンキルトの店を訪ねてみることにした。
店内でいろいろ吟味した僕は、バッグを買うことにした。グリーンのもの、オレンジ色のものなど様々な色そしてあらゆる柄のものがある。その中から黄緑色のものを手にしてしげしげと眺めていると、日本人のおばあさんスタッフが話しかけてきた。
「その柄はジンジャーです。意味は、健康・長寿」
「へえ」僕は思いを伝えた。「親へのプレゼントを買おうと思って」
するとおばあさんスタッフは、ちょうどいい言葉ですね、と微笑んだ。
たしかにそうだな。同じ色で、また別の柄のものもあったのだけれど、僕は健康・長寿の意味のこもった方のバッグを買うことにした。ちょっと季節や天気を選ぶ派手な感じではあるけれど、きっとうまく使いこなしてくれるはずだと信じ、それを買って店を出た。
ワイキキ―ホテルに戻る。15時。まだ余裕があった。僕はここで遅いお昼をとることにした。相変わらず食欲がないけど腹は満たさなきゃいけないし、疲労を考慮して、糖分を補給してやりたかった。
そこで僕は、ハワイと言えば、ということで話題にのぼりがちなパンケーキを食べてみようと思い立った。これまでに語ってきた内容からイメージされるであろう僕のキャラクターからすると、どこか矛盾しているようにとられるかもしれないけど、僕は別に流行りものやみんながキャッキャしているものを嫌悪しているわけではない。それを望むときは普通に望む。
日本にも進出している有名どころはきっと行列ができているだろうから、そんなところへ顔を出すのは馬鹿馬鹿しいので、僕はホテルから近くにあるパンケーキレストランIHOPへ行くことにした。
クヒオ通り沿いのIHOPに入店すると二人掛けの席に通され、メニューが手渡された。……見てみて吐き気がもよおしてくる。なんだ、どれもこれも、この量は。写真を見ているだけでお腹がムカムカしてきた僕は、パンケーキはやめてクレープを注文することにした。これならば比較的ボリュームも少なめだ。僕は例によってベリー系のクレープを注文し、口中をさっぱりさせるためにストレートティーを合わせて注文した。
運ばれてきたクレープは、それでもなかなかのボリュームだった。甘党なのでしばらくは食べられたけれど、途中からやっぱり気持ち悪くなってきた。もったいないからアイスティーで流し流しそれを平らげると、僕のテーブル担当の、両腕にびっしりタトゥーを入れた男性スタッフが伝票を持ってやってきた。
ああ、はじめてだな、と気付いた。実はこの旅で僕は、ルームサービス以外にまだチップを払う機会に出くわしていない。でもついに、そういう店に来たんだな、と思った。
(つづく)
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